テレビでは全く報じられていないが、「週刊文春」(文藝春秋)が2号に渡り報じたことで、急逝した神田沙也加さんが遺した2通の遺書と音声データがネット上では大きな話題となり続けている。
遺書は、沙也加さんの伯父・蒲池光久さんが社長を務める所属事務所宛、そして交際相手・前山剛久さん宛の2通だったこと。
音声データは沙也加さんと前山さんのやり取りが録音されたもので、「そんなこと言わないで」と涙声ですがる沙也加さんに対し、前山さんが「死ね」と言い続け「死ねばみんな喜ぶ」「みんなお前が嫌い」などと罵ったものだと文春は報じている。
「あまりにもショッキングな内容ですから、ネットで話題となり続けることも仕方がないでしょうね。
沙也加さんが重体で発見されてからの、前山さんの時系列にも注目が集まっていまして。
『沙也加さんが亡くなってすぐ、事務所スタッフが前山の滞在する札幌に飛び、ともに帰京』『12月20日に前山さんは自宅にしていたタワマンを売却済み』という部分が特に気になると言われています。
まず、沙也加さんの死亡時刻は12月18日の21時40分と具体的に明かされていまして、『亡くなってすぐ』『札幌に飛ぶ』のは不可能ではないかと。
羽田から新千歳への飛行機は最終便が21時発ですから、亡くなる前からすでに事務所スタッフは移動していたのではないかと見られています。
また、交際の事実は事務所にも舞台関係者にも周知の事実だったということですから、一般的には沙也加さんのそばに付き添って、通夜や葬儀にも参加するところ。それを一切せずにすぐさま帰京しているということで、遺書や音声データなどからいずれは自分が矢面に立たされると判断していたのではないかと。
そして、12月18日のうちに帰京していたとしても、自宅タワマンを売却する手続きがわずか2日後に完了しているという点に対しては『手際が良すぎる』などの声が飛んでいます」(メディア記者)
音声データについて前山さんが把握していたのであれば、「真剣交際していた」と当初発表したとは考えづらい。
となると、遺書に記されている内容が前山さんの速やかな帰京につながった可能性が高い。
これまでに文春が明かしているのは遺書のほんの一部に過ぎないとも言われている。遺書の全文が近く公開されることで、全貌が明らかとなってくるかもしれない。
(文/福島秀明)