プロ野球の中日ドラゴンズ、日本ハムファイターズで選手として活躍。
日本ハムでは監督も務め、野球評論家、解説者として活躍していた大島康徳さんが6月30日に大腸がんのため逝去していたことが5日分かった。
2016年10月に大腸がんおよび肝臓への転移で“余命1年”との宣告を受けながらも、できるだけそれまでと変わらぬ生活を送ることをテーマとして、以降4年半以上に及ぶ闘病生活をたくましく送っていた。
「病気を発表して以降も定期的に自身のブログを更新し続け、亡くなる直前までそれを継続していたその意志の強さには本当に心から敬意を表したいですね。
背番号11
1988年から7年間選手としてプレーした日本ハムでは、背番号11を大島さんは付けていました。
その後、背番号11は、メジャーでも最優秀投手賞にあたるサイ・ヤング賞を争うほどの好投手として現在活躍しているダルビッシュ有投手。
さらには、日本人初のメジャー本塁打王に向けて驀進中の、世界の二刀流・大谷翔平投手がそれぞれ付けていました。
日本球界どころか、世界のベースボールを牽引する後輩を2名も輩出した背番号11の、人並み外れた熱い生き様を強く胸に焼き付けておきたいと思います」(スポーツ記者)
大島さんの選手、監督、評論家・解説者としての素晴らしい活躍はもちろんのこと、闘病を通じての人間力の高さに敬意を表するとともに、ご冥福を心よりお祈りしたい。
(文/有村和巳)
~ライター略歴~
静岡県出身
大学までは野球部で白球を追いかけていた
今は野球を中心にスポーツ全般の記事を執筆している