広陵、中井哲之監督がコーチ時代にレジェンド・金本知憲を潰そうとしていた戦慄の過去 | The Audience
広陵、中井哲之監督がコーチ時代にレジェンド・金本知憲を潰そうとしていた戦慄の過去 | The Audience
スポーツソーシャル芸能
  • ホーム
  • スポーツ
  • 広陵、中井哲之監督がコーチ時代にレジェンド・金本知憲を潰そうとしていた戦慄の過去

広陵、中井哲之監督がコーチ時代にレジェンド・金本知憲を潰そうとしていた戦慄の過去

広陵、中井哲之監督がコーチ時代にレジェンド・金本知憲を潰そうとしていた戦慄の過去
中井哲之

 第107回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場中の広陵高校(広島)が、大会中に異例の出場辞退を表明した。


 決定打となったのは、7日に新たにSNS上で告発された「性的暴行を含む複数部員による不適切行為」「中井哲之監督らによる暴行疑惑」の詳細が、世論や関係者に強い衝撃を与えたことだとみられる。
 
 数々のプロ野球選手を輩出してきた名門野球部が、悪しき伝統によりその歴史に不名誉な甲子園大会途中の出場辞退という異例の記録を残すことになった。

 1990年から35年間の長きにわたり同野球部を率いてきた中井哲之監督は、1985年に同野球部のコーチに就任。その翌年に事件は起こった。
 
 1999年から2010年にかけて1492連続試合フルイニング出場と13686連続イニング出場の世界記録を達成した、広島カープ、阪神タイガースで活躍した同野球部出身の金本知憲さん。
 
 金本さんは同校3年生のとき、法政大学野球部のセレクションを受ける準備を進めていたが、当時の松元信義監督が本当なら8月に行われるセレクションを12月だと金本さんに告げ、金本さんはそれを信じてしまったために受けられなかった。

 さらに、1年間の浪人生活の後、金本さんは中央大学野球部のセレクションを目指すが、中央大学の監督からは浪人は推薦がないと聞かされていたものの、松元監督が「推薦は大丈夫」だとウソを言い、金本さんはそれを信じた結果、機を逃してしまった。
 
 その後、金本さんは知人から東北福祉大学を紹介され一般受験で合格し入学を勝ち取り、同大学の野球部で恩師として名前を挙げる伊藤義博監督の下で1年からレギュラーとなり、仙台六大学リーグ通算52試合出場、165打数63安打、打率.382を記録。ドラフト4位でのプロ入りにつなげた。

 広陵は今回の問題で、被害部員を転校へと追い込んだが、未成年の将来に責任を持たない姿勢は伝統的に続いてきたものと言えるかもしれない。
 
(文/有村和巳)
 
 ~ライター略歴~
 静岡県出身
 大学までは野球部で白球を追いかけていた
 今は野球を中心にスポーツ全般の記事を執筆している